遅すぎた内部告発 ~「慰安婦狩りが嘘なのは常識だった」 by 元朝日新聞ソウル特派員

反日ハンター・神功正毅です。
朝日新聞ソウル特派員がいまごろになって「慰安婦狩りが嘘なのは常識だった」などと証言しました。 
livedoorNEWS/朝日元ソウル特派員が告発「慰安婦狩り嘘なのは常識だった」
http://news.livedoor.com/article/detail/9172359/
<引用開始>
朝日新聞は5日と6日付の朝刊で、「慰安婦問題を考える」という特集記事を2回に分けて掲載した。「誤報の検証」である。このなかで、韓国・済州島での“慰安婦狩り”を証言した著述業の故吉田清治氏の証言を虚偽だと判断し、すべての記事を取り消した。

朝日の検証記事で《当時、虚偽の証言を見抜けませんでした》と書いているが、そんなはずはないと話すのが、かつて吉田氏を取材したこともある元朝日新聞ソウル特派員のジャーナリスト・前川惠司氏だ。

「川崎支局にいた’80年ごろ、初めて吉田氏と会いました。印象としてはヌルッとした人だなと。彼は炭鉱などへ労働者を送り込む労務報国会にいて、朝鮮で畑仕事をしている人たちを無理やりトラックに乗せて連れ去る“徴用工狩り”をしていたと証言しました。でも、そのときは“慰安婦狩り”についてはまったく触れていなかったのです」(前川氏・以下同)

やがて吉田氏の「慰安婦狩り」の証言は頻繁に記事になっていく。
前川氏は韓国で伝手をたどり、強制連行された女性たちを探し歩いたが、そういう噂を聞いた人すら一人もいなかった。

「ある人は『日本人が無理やり娘をさらったりしたら、暴動が起きる』と言いました。吉田氏が慰安婦狩りをしたという済州島は自転車でも2日とかからず一周できる小さな島です。日本軍が部隊を出して数百人も強制連行すれば、あっという間に島中に知れ渡る。慰安婦狩りなどありえない、それが当時の常識的な判断でした」

吉田氏は’92年8月に元慰安婦に謝罪する目的でソウルを訪れた。

「そのとき私は『この嘘つき』と思っていましたが、他社の特派員も同様だったようで、済州島での慰安婦狩りについて執拗に聞き続けるので、吉田氏はしどろもどろになって、途中で怒りはじめたように記憶してます。みんな吉田氏をはなから疑っていたんです」

朝日新聞は’92年1月11日付の記事で《主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる》と書いているが、これも「慰安婦」と「挺身隊」を混同した誤報だと認めた。当時は慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料にも両者の混同がみられたからと言い訳しているのだ。

「でも、同じころ、朝日は別の記事で《挺身隊といっても慰安婦とは限らない》(’92年3月7日付朝刊)というソウル発の記事を書いているんです。それなのに、当時は研究が進んでいなかったと書くのは無理な話です。要は、記者が裏づけ取材をしなかった証拠です。記者としての“基本動作”を怠ってきたわけで、記者の取材そのものを見直す必要があるでしょう」
<引用終了>


そりゃあそうだろう。
ネットの普及率が低かったころでさえ吉田清次なる自称作家のデッチアゲに対して済州島の地元新聞、ソウル大学教授の調査、秦郁彦氏を中心とする日本の調査でそんな事実はまったくないことが確認され、吉田自身も後に「作家が多少の脚色をするのは当然!」とデッチアゲを認めたことは知る人ぞ知ることでした。

その後も
(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)」の証言。
1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。
旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)
(※終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)

このことを指摘され、2007年さいたま浦和の公演の配布資料では従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正

 
チョン・ソウンの証言
「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(~1946年まで)性奴隷にされた。」
2004年他界。享年80歳
(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地です)


「黄錦周」(ファン・クムジュ) の証言
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
「生活は貧しく、12歳(1934)のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」

(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
「17歳(1939)のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」

(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)
「私は19歳(1941)で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」

(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
「満18歳(1940)になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」

(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』

(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
「14歳(1936)のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」



そして極めつけなのが
売春婦かく語りき「朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。」
でも書いたキム・ボクトンの証言
「朝鮮戦争当時日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問題を解決できるように助けて」



このように巷で元従軍慰安婦と呼ばれている人々はコロコロ証言の内容が変わる者、ついには朝鮮戦争当時存在していなかった日本軍に無惨に踏みにじられたなどとボロを出す者まで出ています。
問題は「強制連行された女性たちを探し歩いたが、そういう噂を聞いた人すら一人もいなかった。

「ある人は『日本人が無理やり娘をさらったりしたら、暴動が起きる』と言いました。吉田氏が慰安婦狩りをしたという済州島は自転車でも2日とかからず一周できる小さな島です。日本軍が部隊を出して数百人も強制連行すれば、あっという間に島中に知れ渡る。慰安婦狩りなどありえない、それが当時の常識的な判断でした」、「そのとき私は『この嘘つき』と思っていましたが、他社の特派員も同様だったようで、済州島での慰安婦狩りについて執拗に聞き続けるので、吉田氏はしどろもどろになって、途中で怒りはじめたように記憶してます。みんな吉田氏をはなから疑っていたんです」
これらの情報を入手していながら記事にしなかった朝日新聞とその報道姿勢に疑問を抱きながら意見具申しなかった前川惠司のジャーナリストとしての姿勢です。
これが「日本にはマスコミの社員はいてもジャーナリストがいない」と言われるゆえんです。

確かにこの内部告発は32年と大きく遅れ、その間日本国の名誉が大きく損なわましたがしないよりはマシです。ですが、朝日新聞と前川惠司よ、今までの行いを
B'T X ビートエックス 第04章
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4626220




ざんげせよ!(鳳/B'TX/車田正美)

「過ちては改むるに憚ることなかれ」(孔子)の言葉通り、彼と朝日新聞にはジャーナリズムを取り戻して、いや、無から学んでもらいたいものです。
それができないならいっそ

じゃあなwrist宣言をせよ!


憂国の戦士たちよ、朝日の廃刊、少なくとも会社更生法の適用が現実のものとなりつつある。
朝日が廃刊になるまで愛国心を胸に戦い続けよ!


戦う憂国の戦士たち(朝日新聞の歌) - メタル戦士

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5226786


【朝日新聞】初音ミクさんが歌う「Lie On」【新記録達成記念】

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6642936



そして、アカヒの最後を見届けようではないか!



内部告発・内部通報 -その「光」と「影」- (守れるか企業の信用、どうなる通報者の権利)
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